2018年7月25日  霜田明寛

现在、テレビ朝日系で放映中のドラマ『刑事7人』で主演を务める东山纪之さん。50代にして20代の顷と変わらぬ体型を维持し、ストイックな努力を欠かさない姿の里には自分の弱さへの自覚と繊细な优しさがありました。
红白から、ドラマ、バラエティ、ニュース番组まで幅広く活跃するジャニーズのタレントたちを支えるもの。〝谁でもいい〟から〝谁も代わりがきかない〟存在になっていった、ジャニーズタレントの努力に迫ります。

「よく、人に与えられた时间は平等だというでしょう。
でも、それは违うんじゃないかと最近、思うんです。
残酷なことですが、それは过ごした时间の浓さによっても変わるし、大きな悲しみや冲撃によって人生の时计の针が止まってしまうこともある。」
(东山纪之,1966-)

発言通りのストイックさ


 デビューから30年以上が経ち、自身も50代に。それでも、1日腹筋1000回、1ヶ月でジョンギングを100kmというトレーニングを自らに课し続け、ストレッチマットをいつも持ち歩く。20代の顷と変わらない体型を维持し、「俳优もアスリートじゃないと通用しない」「持久力は今のほうが断然あるよ」と言い切る东山纪之ほど、ストイックという言叶が当てはまる男はいません。

 20代でNHK大河ドラマの主演を経験し、最近では『必杀仕事人』『刑事7人』などシリーズ化される人気ドラマも多く、40代を过ぎてもコンスタントに连続ドラマの主演を务めているという、俳优としても稀有な立ち位置。2017年からは、テレビ朝日系列の日曜朝のニュース番组のキャスターを务めるという新たな挑戦もしています。また、1985年にCDデビューした少年队は、ジャニーズ事务所史上、最长の活动歴を持つグループです。
 凉しい颜をして、当たり前のようにそれらをこなすプロフェッショナルなので、そのすごさに気づかずにやりすごしてしまいがちですが、ジャニーズ、いや芸能界屈指のストイックさを持つからこそ、30年以上第一线を走り続けられている男でもあるのです。

 まずは、东山のストイックな仕事観の表れた発言をまとめて振り返ってみます。
「仕事はできるか、できないか、じゃない。やるか、やらないか」
「仕事は难しければ难しいほど面白い」 
「仕事は(気持ちを)抜くと楽しくないよね。一生悬命やるから楽しい。集中して汗かかないと、喜びも达成感も生まれない」 
仕事を登山にたとえ
「顶上に登ると、ああいい空気だな、って思う。で、云が晴れると、もっと高い山がいっぱいあってさ。そこまで行かないと次の山が见えないんだよ」 
といった、挑戦し続ける人ならではの発言もしています。

「芸能界は竞争が厳しいですから、その都度、やっているということでは间に合わない。つねに先のことを考えながら、二十四时间、寝ているときでもそれに向かっていないといけません」と语ります。东山の家族によれば、寝言でセリフを言っていることもあるといいますから、ただ言っているだけではなく、本当にこれらの発言通りのスタンスで生きているのです。东山は「こと芸事に関しては、肉体の衰えは精神力でカバーできると思う」として、30年以上を第一线で駆け抜けてきました。

「自分は弱い人间」东山が泣いた日
 しかし、东山がここまでストイックでい続けられるのは、自分の弱さを自覚しているからでもあります。
「仆も自分では弱い人间だと思っています。弱いとわかっているからこそ、それに负けない自分を作るために汗をかくんです。でも、弱さを知って小さな努力を积み重ねていけばいつかそれは强さに変わるときがきます」

 弱いという自覚があるからこそトレーニングを重ねていく。実は、そのクールなルックスからは意外かもしれませんが、东山は単に机械的にストイックなだけの男なのではなく、とても繊细な、感情の男でもあるのです。

 东山が人生で1回だけ号泣したというときの话です。それは、少年队がデビューした翌年の1986年、大晦日の红白歌合戦のときのこと。この年、少年队は红白に初出场。审查员だった森光子と东山が初めて会った日でもあります。
 しかし本番、なぜか少年队がスタンバイする前に曲が鸣り始めます。さらには司会の加山雄三が曲名の『仮面舞踏会』を『仮面ライダー』と间违えて绍介。少年队は动転し、タイミングは合わない上に衣装も脱げて络まったりと散々な出来。楽屋に戻るなり、东山は号泣します。森光子も励ましに来てくれたといいますが、涙は止まりません。そこにジャニーさんが入ってきてこう言い放ちます。
「ユー、本当によかったね! これでユーたちはみんなに长くおぼえてもらえるよ。加山さんに感谢だよ!」
 しゃくりあげながら、きょとんとする东山。しかし、実际には、この出来事で知名度が上がり、ジャニーさんの言うとおりになっていきます。当时を振り返り「自分一人で考え込むと、つい物事を悪い方へと考えがちですけど、人生って意外とそんなに悪いものでもないんだなって思います」と述懐しています。

 こうやって悔しさや怒りを感じても、それを自分のためにしてしまうのが东山流。「悔しさや怒りはパワーの源になるから、それを持つのは悪いことじゃない。问题はどこに向けるか。外に向けると违うエネルギーに変わってしまうし、人に迷惑がかかるので、悔しさや怒りを、自分を高めるエネルギーに还元できるような回路を作ることが大切なんだと思います。それができれば精神も安定して一石二鸟です」と语ります。そして、もちろん「仆の场合は悔しさや怒りをトレーニングに向けています」と、揺らされた感情は、自分のパワーに変换しているようです。ほかにも、东山が感情の男であることが感じられる话があります。

戻らない川崎
 东山が日课にしている新闻の切り抜きは、情报収集のためのそれとは一线を画しています。たとえば、杀人事件の加害者と被害者の両亲が、塀を越えての文通をしているという记事。ほかにも、足に障害を持つ少女が新入生からいじめられるようになると、先生が下の学年からクラスを回って障害に関して说明をし、いじめをなくしたという记事。东山が切り抜くのは情报ではなく物语を感じさせるものが多いのです。
 ストイックな男、というとクールな印象を感じてしまうかもしれませんが、东山の根底には「人は、人を差别するときの颜が最も丑い気がするんです。大人として、それは子どもたちにちゃんと教えたいですね」と语るような、确固とした优しさがあるのです。

 また、中学生まで住んでいた川崎市に30年间足を踏み入れようとしなかった、というのも象徴的。
「东京から川崎。帰ろうと思えば、すぐに帰れる距离なんですけどね。でも、仆の心の中では、多摩川のあちらとこちらは别世界。一度、あそこに帰ってしまったら、もう二度とこちら侧には帰って来られないんじゃないかという思いもあって」 と、実はランニングで多摩川を越えて走っていけるほどの距离にある川崎市を、あえて避けていたというのも、前を向く强い意思と、过去に触れてしまうと感情を揺さぶられて戻れなくなってしまうことへの怖さが同居していることによる気がします。

 そして何よりも、ストイックに自分を磨き続ける理由が、かつてのファンも含めた人たちへの优しい感情に溢れています。
「当时、応援してくれた人、ファンだと言ってくれた人たちの思いも引き継いでいかないといけませんし、耻をかかせるわけにはいきません。『あいつが好きだったの?』と言われるのは、かわいそうです」
 30年以上も活动を続けていれば、かつてファンだったという人もでてきます。そして、タレント本人もルックスが衰えてしまったりと変化が出てきてしまいます。それを、昔はかっこよかった、といった形でバラエティ番组などに出る元アイドルも多くいます。
 しかし、东山は、现在のファンはもちろん过去のファンのためにも、自分のルックスを衰えさせないよう、今でも20代の体型を保ち、日々トレーニングをしているのです。

 ストイックさの根底ある优しさという感情。そして、その“优しいストイックさ”による努力が、东山纪之の长年にわたる活跃を下支えしているのです。

东山 纪之(ひがしやま・のりゆき):1966年生まれ。神奈川県出身。川崎市の市営住宅の団地で育つ。小学校の卒业直前、渋谷のスクランブル交差点を渡ろうとしていたところを、车の中から降りてきたジャニー喜多川に声をかけられ、名刺を渡される。3日后、アメ车で家までやってきたジャニーの说得を、いちど断る。だが、ジャニーの车内で妹が呕吐。后日、そのお诧びに菓子折りをもってジャニーに会いに行くと「レッスン见ていかない?」と言われ、そのまま参加。中学卒业后の15歳からは、亲元を离れて东京で暮らし、1985年19歳のときに少年队としてレコードデビュー。93年に『琉球の风』でジャニーズタレント史上初の大河ドラマ主演を务める。ほかにも、浅野内匠头を演じた『元禄缭乱』や『花燃ゆ』などの大河ドラマや、『必杀仕事人』シリーズ、藤沢周平原作の映画『小川の辺』『山桜』など、时代剧出演が多く、源义経、藤原道长、足利义満、冲田総司、织田信长など多くの歴史上の人物を演じてきた。
现代ドラマにも、それぞれ二度连ドラ化された『平成夫妇茶碗』シリーズ(2000年・2002年)や『喰いタン』(2006年・2007年)、『ザ・シェフ』(1995年)『お前の谕吉が泣いている』(2001年)『GM〜踊れドクター』(2010年)『◯◯妻』(2015年)『刑事7人』シリーズ(2015年~)など、多く出演。ドキュメンタリー番组『バース・デイ』ではナレーション、ニュース番组『サンデーLIVE!!』ではメインキャスターも务める。TOKIOとしてデビューする前の、山口达也、国分太一、松冈昌宏らを、自分のマンションで居候させていた时期がある。
また、「あそこには最高のエンターテイメントがありますよね」として、ディズニーランドが好き。梦は100歳でも舞台に立ち続けていること。

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