【共讀連載】情書(28)
皆さん、こんばんは。
又到了周三日語共讀的時間啦~
陪伴大家已久的《情書》今天迎來了第28回~
情 書
《情書》是日本作家岩井俊二的長篇小說,也是其成名作,首次出版於1995年。小說由一個同名同姓的誤會展開,通過兩個女子書信的交流,以舒緩的筆調細緻的展現了兩段可貴的愛情。
28
パパの突然の死は當時の私に正確な悲しみを與えてくれなかった。泣いた覚えさえないのだ。生まれて初めて身近な死に直面したあたしは,これっていったいということなんだろうと考え込んでいるうちに,全てが終わってしまったような感じだった。後にはなんだか重くて暗くて妙に、うすら寂しい印象だけが殘った。
爸爸的驟逝,並沒有帶給當時的我應有的悲傷,我甚至不記得自己哭過。有生以來第一次面對親人的死亡,當時我還在思考「這到底是怎麼回事」的時候,好像一切就這麼結束了。之後,只留下一種沉重、黯淡、莫名其妙的落寞印象。
病院の獨特な匂いが嫌が,でもその頃の記憶を刺激して,私はすっかり重くて暗くてうすら寂しい気分になってしまった。待合室の本棚には、サザエさんのコミックが、當時のまんま第一巻からずらりと並んでいた,私はその中からランダムに一冊抜き出してベンチに座った。
醫院特有的味道毫不留情地刺激著當時的回憶,於是我的心情完全陷入沉重、黯淡和莫名其妙的落寞里。候診室書架上的那套《海螺小姐》漫畫,和當時一樣從第一集開始排成一排。我隨便抽出一本,坐在長椅上。
電光掲示板の最後の、辺りに點燈している私の整理番號はなかなか前に進まず,その間に5札のサザエさんが読破された。いい加減サザエさんにも飽き,週刊新潮に切り替えたが、あんまり読むところもなく、いたずらにページをめくっているうちに,いつの間にか、まどろみに落ちてしまった。
我的候診號碼在液晶顯示板最後的位置閃著,卻一直不向前移動。在這段時間,我已經讀完了五本《海螺小姐》。看膩了《海螺小姐》,就換成《周刊新潮》,不過裡面沒什麼好看的,我胡亂地翻著,不知不覺開始打瞌睡。
わずかの間に見たよその夢の中には、中學時代の私とママと祖父がいた。私は道の途中で、凍りついた大きな水たまりを見つけると、助走をつけてその上、勢いよく滑った。
危ないわよ
後からママが呼んでいる。
在這短暫時間裡,我做了一個夢,夢裡是國中時代的我、媽媽、還有爺爺。我在路上發現了一個結冰的大水窪,就助跑幾步,順勢滑過去。
「很危險啊!」
身後傳來媽媽的叫聲。
それは夢とは言えないかもしれない。なぜなら実際にあったことだからだ。パパが死んだ日の病院に帰りの光景だった。私は夢半ばに、まどを見ながらただそれを、思い出していただけなのかもしれない。
這或許不能說是夢。因為這是現實中發生的事,是爸爸去世那天,從醫院回來的路上發生的情景。我可能是在朦朧的睡夢中才想起了這件事。
藤井さん
突然呼ばれて、私は我に返った。
藤井さん
はい。
まだ正気に帰りきらない私の頭の中で誰かが一緒に,はいと返事をした。
あれ?今の。
不思議に思ったあたしの脳裏には,一人の少年の姿が浮かんでいた。學生服を著たその少年は凜とした、まなざしでアタシを睨んでいた。
「藤井小姐!」
突然的叫喚聲把我拉回現實。
「藤井樹小姐!」
「是!」
在我還沒完全清醒過來的腦子哩,有人和我一起應了一聲「是」。
(咦?剛剛的……)
我覺得很不可思議,在我的腦海里浮現了一個少年的身影,那個身穿學生制服的少年正用一種凜然的目光注視著我。
小樽は北の小さな港町だった。
通り沿いに、昔ながらの古い建物が並んでいて,その中には秋葉の言うように、ガラス工芸の店がいくつか、軒を連ねていた。
秋葉は博子お知り合いの、ガラス工房に案內した、自分の工房に比べると綺麗で大きな內裝を,秋葉はこう解説した。
小樽是北方的一個小小港口城市,道路兩旁排列著很多保持原貌的古老建築。正如秋葉所說,其中有幾家相鄰的玻璃工藝品店。
秋葉帶博子去了朋友的玻璃工房。秋葉向她說明,那家工房比自己的工房更大而且更氣派。
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主播/點點奀
編輯/ミアオ
責任編輯/日語之聲
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